生成AIが出たことによって、人間のやることがどんどん無くなっていくと、よく心配されていますよね。でも、それって僕はそもそも前提が間違っていて、前提が間違っているからこそ、そういった認識をしてしまっていると思っています。

アナログ vs デジタルの構図は、AIにもそのまま当てはまる

例えば、何にでも言える話なんですけど、音楽に例えて言うと。アナログ機材——実機のコンプレッサーやイコライザー、そしてテープを使って地道に録音していた時代と打って変わって、現代はすべてパソコンで、デジタル上(ITBの環境)で楽曲制作ができてしまいます。

そうすると、やはり「今の最新のソフトは良いけど、昔のアナログ機材も良いよな」みたいな話になったりします。もしくは「1人で全部できてしまうから、スタジオに行くこともなくなって、人と接することもなくなるから良くないよな」とか、「スタジオに行った方が人間の温かみがあって……」みたいに、結構比較されがちなんですよね。プラグインなども「やっぱりアナログに追いつけるのか」とか、何かが上で何かが下、という風に見られがちです。

これはAIも同じですよね。生成AIが絵を描けてしまう、動画を作れてしまう、音楽を作れてしまうから「楽になったよね」と。でも、それは違うわけです。

本質は「受け手がどう感じるか」

逆に言うと、「どれだけ人間が丹精込めて作ったか」「どれだけ便利なソフトを使ったか」「どれだけ有能な生成AIが創作物を生成したか」——そんなことは関係なしに、その制作物を享受した人間が「良い」と思わなければ良くないわけです。ここに「AIを使っているか、どういうツールを使っているか」というのは関係ないわけです。

ただ、少し付け加えたい事実があります。実際、制作をしていない、いわゆる「消費者側・受け手側」の方が、意外と制作過程というものを大事にする傾向にあるんですよね。そういう声はよく言われていますし、僕もよく目にします。

ということは、どのみち人間の介在を求めている人がいる以上、クリエイティブが「AIだけに取って代わられる」という逆説は成立しなくなります。

だからこそ、AIに仕事を奪われると立ち止まるのではなく、使えるものは全部使いましょうよ、と。その方が自分自身の選択肢の幅がものすごく広がるよ、という話なんです。

クリエイターが持つべき思考

我々のような本来のクリエイターが持つべき考え方というのは、「昔からあったもの、そして今あるものを全て使って制作をしていく。使えるものを全て使いこなしていく必要がある」ということです。そうして人はどんどん進化していき、人々が「良い」と思うものを作る。基本的には「使えるものを全て使ってクリエイトする」。これがクリエイターがあるべき思考だと思っています。

少し補足的な話をすると、当然、打ち込みのギターもあれば生で演奏するギターもあります。生で演奏するギターの良さといえば、人間特有の「揺らぎ」だったり、当然「その人が弾いている」という事実から、それがプラシーボなのか何なのかは分からないけど、やはり「かっこいいよね、いいよね」みたいなことになりますよね。

これが「人間が弾いたギターを100」とした時に、打ち込みのギターと比べてしまうと、弾いているものに対しては弾いていないということになってしまうので、打ち込みの方が下になってしまう。でも、ギター関係なしに「ギターという音色が使われている楽曲」を人が弾く必要があるのか? その時、自身が手元にあったギター音源を使って打ち込んだに過ぎない。これは事実ベースの話であって、「こうあるべき」ではないんですよね。

また、「誰でも簡単にできるよ」「楽してできるよ」みたいなキャンペーンを打ちすぎたという問題はあると思っています。特に素人向けのハウツーだったり、作曲ソフトを買って作曲しようといったキャンペーンは、「誰でも簡単にできるよ」というツールの進化を推すので、やっぱりその感覚が染み付いてしまうと「ギター弾かなくてもいいじゃん」という感覚になってしまう。

でもその中で、本質的にギターを弾きたいと思った人は弾くし、そこは大事ではないという人は弾かない。弾かない世界と弾く世界、これどちらかになることって絶対にないわけですよね。なので、その理論でいくと「生成AIが人間に置き換わる」というのは本来あり得ない話なんです。

ツールが進化しても「楽になる」わけではない

そして、これは最初に言っておくべきだったんですけど、ツールがどんどん進化して「楽になる」というわけではないんです。

今までの従来のツールに加えて新しいツールを使うことによって、人間の「できること」はどんどん増えます。そうすると、結局時間が足りなくなるんですよね。やらなくていいことはやらない、といった取捨選択は結果的にすることになるんでしょうけど、暇になるかと言われたら全く暇ではありません。睡眠時間を省いた16時間、18時間という限られた時間の中で、やれること、スピード、そしてクオリティはツールのおかげでずっと上がり続けていると僕は感じています。

結局のところ、そうやってツールを使いこなし、やり続けた人が残るし、続けた人が勝つ。ただそれだけの話であると、僕は言いたいですね。

AIがAIを消費する構造

特に僕みたいな音楽クリエイターは、AIが制作を取って代わるということはないです。ただ、AIが作ったものをAIが消費するという構造は結構できていると感じています。

例えば、AIが作った楽曲をAIが再生を回して再生数を稼ぐとか。あるいは、求人の応募にChatGPTなどの生成AIで文章を作成して応募し、選別する側(クライアント側)も生成AIでそれを判別して落とす、とか。これって全く本質的ではないですよね。

こういった「できてしまうこと」というのを、いかに人として正しく判断するか。ここがすごく大事なわけです。

「走らないのは卑怯だ」という的外れ

これを移動手段で例えるなら、「目的地に早く着くことが目的なのに、自動車を使っている人を見て『自分の足で走らないのは卑怯だ』と言っているようなもの」です。これは本質が違いますよね。

自分の足で走って汗を流すことには、たしかに「人間が作り出した美学(スポーツやマラソンのような価値)」があります。しかし、自動車のような道具は「目的地により早く、効率的に到達するため」のものです。それぞれ全く別の本質があって、それぞれに有意義なものがある。なので、「自分の足で走る美学」を絶対として、他の手段を否定するのは少し違いますよね。

自身がやりたいこととして、たまたま「今はAIを使わない」という選択をするのであれば、それは全く間違ったことではありません。ただ、だからといってAIは悪であると否定する理由にはならない、ということです。また、AIを使ってみたいという一つのトレンドに対して「そんなものは意味がない」と斜に構えることも、僕はあまり意味がないと思っています。

規制に対する現実論

インターネットだってそうです。インターネットを規制する・しないみたいな問題は結構議論されていて、AIでも規制するかしないかって話はよく聞くと思うんですけど。じゃあ具体的にネット、何を基準に、どういう規制が、どのくらい施行されていたら果たして人は満足するんでしょうか? それで満足したから必ず良い世界が来るのかと言われると、そんなことはないんですよね。

大抵のことって、新しく法律を作らなくても既存の法律で対応できてるんですよね、本来は。そこに対して新規性のある、今までになかったもの——例えば車が登場してから、車に対する交通ルールや法律を作るとか——そういった「昔にはなかった法律を作る必要がある」というのはあって然るべきだと思います。ただ、従来からの考えで無理に規制を作ってしまうと、現実としては意味をなさない法律を多数作ってしまうことになる。

そういった「やるべきこと、本来やらなくていいこと」を考える力というのが、今、今後の人間に一番必要なものになると思っています。

「効率化」だけが正義ではない

「やるべきこと、やらなくていいこと」と言うと、私たちはつい「効率化」や「時間の節約」といった意味にとらわれがちです。昨今は「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉が流行るほど皆時間がなくなり、自身の選択に間違いができなくなってきました。だからこそ、「いかにして最短ルートで答えを導き出すか」という「努力の最適化」が求められています。

たしかにそういった側面もありますが、全てを効率化すればいいわけではありません。「やるべきこと」の中には当然「泥臭くても自分がやりたいこと」も含まれるべきです。

だからこそ、AIを使っていく中での理想的で建設的な使い方は、「やりたくないこと、楽をしたいこと」をAIに丸投げするのではなく、「今自分がやっていること、得意なこと」に最新のツールとしてAIを組み込んでいくことだと僕は思っています。

AIの使い方は、本質を理解しているかで変わる

例えば「勉強」というものにAIを当てはめてみましょう。大抵の人は学生時代、勉強の本質なんて考えたことがなかったと思います。もし勉強の本質が「ただテストの点数を取ること」だとするなら、宿題や作文をAIにやらせるのは、ツールとしてはできてしまうので理にかなっているとも言えます。

でも、主体的に「何か知りたい、学びたい」という本質的な目的がある人は、AIに計算や文章を考えさせるのではなく、正しく「検索ツール」として使ったり、自身の考えを壁打ちする相手として使ったりします。AIの使い方ひとつとっても、本質を理解しているかどうかで全く変わってくるわけです。

AIを正しく評価できているか

また、AIを過小評価しすぎている現状もあると感じています。とりあえず無料で使えるからと、本来自分がやらなくてもいいこと(お金を払ってまでやらないこと)にAIを使ってみて、「精度が悪い」と見限ってしまう。これは現実問題として少しズレていますよね。有料のソフトを使えばトークン数や情報量が違うのは当然であり、そこで評価を決めるのはフェアではありません。

「伝える力」こそが問われている

そして何より一番大事なのは、「人に正しくお願いごとをするのが難しい」のと同じように、「どう伝えればAIに正しく伝わるか」を人間側が考えることです。

「正しいプロンプトの入力方法」といったどこまでも受け身な考え方ではなく、相手に伝わるように主体的に考える。プロンプトを作ることすらAIにお願いできる時代ですが、最終的にAIに的確にお願いするのは人間です。

今後ツールが進化していけば、人間がどんどん曖昧な指示を出してもAIが的確に答えてくれるようになるかもしれません。でも、それが「あくまで人間として本質的なことなのか」は、今一度考えてみるべきだと思います。

理想論ではなく、現実を見よう

とにかくAIに関しては、興味がある人が勝手に触って、ちょっとずつ市民権を得て発展していくものです。理想論を語るのではなく、そういった現実をきちんと見極め、本質を正しく判断できる「考える力」が、今すごく大事になってくると思っています。